ヒマラヤ年越しトレッキング〜高度順応②〜
体調も復活し、本来なら前日に着いてるはずやったペリチェへ。
身体も軽い!健康って素晴らしい!!
出発して約3時間で難なく到着。
お昼ご飯にプレーンライスとタトパニを頼み、メルズーガの宿で頂いたお茶漬けを作製!
涙出るほどうまい。
そして昼からは裏山に2回目の高度順応トレッキングへ。
高度順応で登る山は傾斜が急で割としんどい。
登頂完了。回復を喜ぶ私。
頂上に着くと、先に着いていたイタリア人のナイスミドルが
「Welcome to paradise!!」と声をかけてくれた。
欧米人が言うと何かやらしくなくてシャレてるように感じる笑
アマダブラム。浅井さんもべた惚れな美しさ。今回見た山で一番きれいやった。
荒涼とした風景にはためくカラフルなタルチョ。
そういえば、こんな写真を本で見たのがヒマラヤ行きを決めたきっかけやったな。
水を運ぶおばあちゃん。
この日もレスキューヘリが飛んでいた。
ペリチェにもヘリポートがあって、このとき来ていたヘリは3社あるうちで最も高く、一回5000ドルだそうな…。
緯度が低いのと標高が高いのとで日光は強め。暖かくてありがたい。
ヒマラヤにも温暖化の影響が出ているようで、氷河が溶けて「氷河湖」なるものが出来ているところもあるらしい。
ペリチェに着く前に通った橋は数年前に氷河が溶けた水による洪水で流され、トゥクラ峠も洪水でロッジが流されてしまったため、現在は宿が1軒しかない。
自分たちが通ってきたルートも近い将来通れなくなる可能性もある。
そんな話を浅井さんから教えてもらった。
そんなこんなで下山。
宿に戻るとコテコテの関西弁が聞こえて来た笑
懐かしい気分にる。
話してみると、登山経験バリバリな60代のおじさま3人組はヒマラヤトレッキングの記事の取材に来たらしい。
「山と渓谷」という山好きな人の間ではメジャーな雑誌でも連載していたりするそうな。
冷た〜〜〜〜い川の水で頭を洗い「目ぇ覚めたわ〜!!!!」と楽しそうに笑ってたりと、見てて気持ちがいい笑
晩ご飯は節約もかねてベジ・ヌードルにしといたが、おじさまたちはヤクステーキで。
「言うても年やからそんな食われへんし、ちょっと食べとき。」とお裾分けして頂いた。
初めて食べるヤクの味は、牛のような、ラムのような、ヤギのような…
とりあえずスジばっていることと、うまいことは間違いなかった!
おじさまたちは冬山登山の講師をしていたり、台湾の5山制覇していたり、沢登り歴30年以上やったりと、
よくわからんけど凄い人たちやったみたい。
雪崩で友人が巻き込まれて亡くなったりと、危険も経験していた。
それでも山が好きなんがよくわかって、自分も年取ってから身体が動くなら、友達とまたヒマラヤに来たいなと思った。
晩ご飯のあとジャム蔵が「以前にガイドした日本人女性とたまにメールしてるんだが、この英語ってどういう意味?」と聞かれた。
メールの文末に「Love & Kiss ^_^」とあり、「俺には妻も子供もいるんだ!LoveはいいけどKissはダメだ!!」とジャム蔵。
「性的な意味じゃなくて、兄妹みたいに仲良く思ってるんやと思うよ〜」と言うと納得してくれた。
ジャム蔵と行動を開始してはや6日目。
6000m超えるピークハントを何度も経験して登山経験は豊富。
かなりの世話焼きでおしゃべり。
かと思えばたまにすごい無愛想やったり。
「自分はタダでもらえるから」と、宿でもらったタトパニをこっそり分けてくれたり。
良いとこも悪いとこも見えてくるし、ジャム蔵との接し方も何となく自分の中で出来てくる。
日本を出る前に詠んだ「イシューから始めよ」という本で「人間関係では向き合い続けることが大切」と書いてあったのを思い出した。
誰しも良いところも悪いところもあるし、長い間つきあってるから見えてくるものもある。
自分は表面的なとこで、食わず嫌い的に、すぐに人を判断して遠ざけてしまったりもする。
で、あとで「この人こんないいとこあったんや〜」と何か自分が恥ずかしくなる。
でも「この人はどんな人なんやろう、自分はこの人のことどう思ってるんやろう」と、
落ち着いて受け止めていくことは、一周してる間に少しできるようになったと思う。
ジャム蔵とふんわり雲。
トレッキングの間は風景を楽しんだり写真を撮ったりするとはいえ、考え事する時間がめっちゃ長い。
つづく