獣の旅と音楽

旅の思い出、獣医としての生活、あと音楽とか

ヒマラヤ年越しトレッキング〜カラパタール登頂〜


12月31日。
8時ごろにロブチェを出発。
ロブチェ・パスはアップダウンの繰り返しで、これで最後なはず!と思って登ったら、
その先にまだまだ同じような道が続いて行くのが見えて萎えて、の繰り返しだった。


それでも昼過ぎにはとうとう、エベレスト街道最後の村・ゴラクシュプへ到着。標高5000mちょい。


左奥に見える丘がカラ・パタール。
カラ・パタールとは現地の言葉?で「黒い山」を意味するらしい。


中央に見える氷河のあたりにはエベレスト・ベース・キャンプがあり、
あそこからエベレスト登頂を目指す登山家たちが出発する。



カラパタールから帰還したっぽいトレッカー。


月面っぽい。



村は周囲を8000m級の山に囲まれる感じ。
ヌプツェ?ローツェ?は手前にある分エベレストより大きく見える。



天気も良かったので、このまま午後からカラパタールにチャレンジすることに。
「明日の朝までもってくれればそれでいい!」と、下痢止め、みそ汁、アミノバイタルなど、
ここまで温存しておいたアイテムを出し惜しみ無しで投入。


二時半、登頂開始。


カラパタールって遠目に見たらなだらかな丘で、何とか行けそうな気がした。
登ってるときも後ろを振り返ると絶景。



でも前方は本気で萎えるレベルの傾斜。



「いやちょっと待て、こんなん聞いてへん…」と、ここ数年でダントツな辛さに萎える。
旅ブログなどで調べても、最後の最後がこんなにしんどいとは誰も書いてなかった…笑

割と早い段階で休憩を取る。
浅井さんは自分より余裕があるようで、夕暮れに間に合うようにと1人先を目指した。

ジャム蔵とゆ〜〜〜〜〜〜っくりと昇る。
頭痛がして、呼吸が苦しくて、身体に力が入りにくくて、
「もうええやん…やめとこかな…」と思う。

でも休憩して呼吸が落ち着いてくると「行けるとこまで行ってみよ」と思えた。
今までのどの道よりもばてやすく、少し進んでは頭が痛くなり、心拍数が上がる。
その度に休む。
意識して深い呼吸をしてると、周りに自分の呼吸音が響いてるように聞こえた。
ジャム蔵が休憩のたびにくれる、宿でもらってきたというホットレモンが染みた。


だいぶ日も傾いてきた。



じきに、「あの岩まで行ったら休憩しよう…」と目標を設定するようになった。
歩いてみると、そこまでは何とか行けるもので、そこから先に進みたいと思った。
「とりあえずあの岩までは行く!」
ということを繰り返しているうちに、頭は痛いんやけど、また色々と考える。

これ楽器練習するときと同じことやってるな〜、とか、
自分で限界作るなって、こういうことなんかな〜、とか、
一歩一歩ってまさにこれやな〜、とか。

カラパタールの頂上はもう見てなかった。
とにかく次のあそこまで…。
途中でほんまに限界が来たらやめていいから、とにかくどこまで行けるんか試したい。



少し先に目をやると、ジグザグの急傾斜がまだまだ続いてて、
「これどこまで続くんや…あと何回繰り返したらええんや…」と気が遠くなるけど、
「知るか!とりあえず次のあの岩まで、あわよくばそこから一歩でも!」
と今自分が達成できそうなことに集中した。

身体の使い方を意識して、無駄な動きや力を省き、全身にすこしでも酸素を行き渡らせれるよう深くしっかり呼吸した。
運動部での練習、楽器演奏、読んだ本、聞いた話、その他もろもろ。
ここに来るまでに自分が経験したものを使って、全力で今に集中するのは本当に楽しくて、色んなことに感謝した。
つらすぎて、割とおかしなテンションにもなっていた笑。



5時。
ジャム蔵に「あの黒いところが頂上だ」と言われた。
夕暮れにはぎりぎり間に合った。


一足先に着いていた浅井さんとも合流した。
僕の具合が悪そうすぎて、きっと途中で引き返すだろうと思っていたらしい。
「よく来ましたね!根性ありますね!!」と言いながら固く握手してくれた。

本当の頂上まではまだあと少しあったけど、夕焼けまでもう時間もないし、
浅井さんによると景色もそんなに変わらんらしいので、ここで登頂は終了することに。


2012年最後の夕焼けに照らされる8000m峰。
世界で一番高いところの夕焼け。


この旅の準備を始めたときから見たかったものが見れた。



ジャム蔵と記念写真。
かけ声は「ヤク・パンケーキ!ナク・チーーーーズ!!」
(正直声を出すのも本気でしんどい)


趣味の行き倒れ写真や、浅井さんの分の写真なども撮るが、もう本当にしんどかった。
手ぶれを抑えるためにシャッター切る瞬間は息を止めたり、撮りたい構図のために微妙な体勢をキープしたり…。
本当に本当に本当に…(×50)しんどかった。


辺りが暗くなる前に下山。


帰りは下るだけと思いきや、傾斜がきついから足への負担も割とありだいぶつらい。
浅井さんの言う「シャリバテ」なのか、身体に力も入りづらい。
飴などを食べながら下ると少し楽になった。


ゴラクシュプまでは約45分で下山できた。



宿へ着く頃にはもう二人ともボロボロ…。
浅井さんはもう初日の出は断念すると言っていたが、自分は起きるだけ起きてみる、と言うと驚いていた。
自分よりボロボロな奴がそんなこと言い出すとは思ってもみなかったらしい。

でもハッタリでもそう言わずにはいられなかった。
このトレッキングの一番の目的は「世界で一番高いところから昇る初日の出を見ること」だったので。




つづく

ヒマラヤ年越しトレッキング〜ゴラクシュプ〜





2度目の高度順応を終え、最終目的地へ向けて出発。



天気は抜群!12月は天気だけならトレッキングに一番良い季節らしい。


風は強め。雲がいい感じ。


途中でフェニックスみたいな雲を見た。



ペリチェからゴラクシュプまではトゥクラ峠を超えていく。


峠では太陽光でお湯を沸かしていた。光が中心に集まり、かなりの熱量になる模様。




でも頭や洗濯物は冷水で洗う。ひー笑



景色は相変わらず絶景。






氷河が広がる。だいぶイメージと違う見た目。


氷河って、パタゴニアのペリト・モレノみたいな感じかと思ってたけどヒマラヤのはこんな感じ。
でも砂の下に氷河が流れているらしく、時折「ごごごご…」と大きな塊が動く音が聞こえた。

その辺にも氷がむき出しのところがあった。まさに氷山の一角。





氷の中の結晶がきれい。




ゴラクシュプには昼前に着いた。
時間もあるし、せっかくだから近くの丘を散歩しようとジャム蔵に誘われる。
頭痛が始まっていたので少し迷ったが、身体は普通に動かせたので行くことに。
浅井さんは頭痛がけっこう辛いようで、宿で休んでおくことにした。


丘へ登る。やたら石を積んである理由はわからずじまい。


写真を撮りながら歩くくらいの余裕はまだあったが、やはり高山病を発症し始めているようで、身体が重く、頭が痛い。
ジャム蔵はひょうひょうと歩いていたが、こまめに休憩を取ってこちらのペースに合わせてくれた。
休憩のときには宿で自分がもらったアップルティーを何杯でもくれた。


途中でネパールとイタリアの共同研究所へ。


看板から少し歩いて行くと、ピラミッドのような建物が…。




秋のハイシーズンのころなどは、ここに研究者が泊まり込むらしい。タフ。







それにしても辛い。
ここまで身体にむち打ったのは久しぶり。

ふと高校時代のラグビー部の練習を思い出した。
走って、ぶつかって、はしって、倒れて、また走って、思わず膝に手をつき、下を向いてぜーぜー言ってしまう。
しかし、「顔あげろーー!!!!」「声出せーーー!!!」と、部員たちでお互いを叱咤していた。

ストックに体重を預けて、顔を下に向けて地面とにらめっこしてたけど、それを思い出したら「あの時よりはまだ楽か笑」と思えて、よっしゃ!と顔を上げて歩いた。

身体が重くてたまらんけど、高校時代のラグビーや、大学でのドラムの練習で自分なりにつかんだ「身体の使い方」を頼りに歩く。
足だけでなく、腰、背骨、腕、全身の筋肉を意識して、神経を行き届かせて、地面に力を伝え推進力に。
最小のエネルギーで最大のフィードバックを。エコノミックに。
バガボンドの武蔵のように。

出発前に読んだ「モリー先生との火曜日」という本の一節も思い出した。
神経が徐々に侵されて、重い呼吸困難の発作に日々苦しみながら死を待つモリー先生。
モリー先生が途中で始めたのは、自分の体験している状況をじっくり味わい、説明してみるということ。
発作が起きるとたまらなく辛く、頭も混乱してしまう。
しかし、「今身体のここが痛くて、呼吸ができなくて…」と自分の身体がどうなっているのか、何とか頭で説明してみると、恐怖は少し和らいだ。
そんな感じのことが書いてあったような気がする。

このときの自分の頭の中はもう「しんどい、しんどい、しんどい…」と脳も軽いパニックになってるのかなと思った。
落ち着いて、身体の各部分の神経を探り、自分の身体がどういう状況なのか把握してみる。
確かに呼吸は辛いし、頭も痛い。
でも足はそうでもない…。
腹も落ち着いてる。
しんどいけど、ゆっくり動けばちゃんと歩ける。
ん、いけそう!

そんなことを意識していると、楽になったわけではないけど、身体をいくらかコントロールできている気はした。
時間はかなりかかったけど、何とかジャム蔵の「散歩道」はクリアした。

夕方に宿へ戻ったころにはもうへとへと…。



この日はパワーをつけねば!と思い、奮発してチキンカレーを夕飯に。
数日ぶりに食べたスパイスと肉で目もさめ、元気は出た。

しかしやはり身体は重く…
早めに寝るが、高山病の薬の副作用で夜中も何度も目が覚めトイレへ。
トイレへの移動もしんどい。

宿の他のトレッカーたちはみんな平気そう。
でも自分と浅井さんはぐったり…
「俺たち限界に来てますね…」と浅井さん。

日にちは12月30日、標高はほぼ5000m。
「エベレストから昇る初日の出を見る」というこのトレッキングの目的達成まであと一歩。
もしかしたら少し危険な状態なのかもしれんけど、あと一日だけ身体よもってくれ、と祈りながら続行することに。





つづく

ヒマラヤ年越しトレッキング〜高度順応②〜




体調も復活し、本来なら前日に着いてるはずやったペリチェへ。


身体も軽い!健康って素晴らしい!!


出発して約3時間で難なく到着。


お昼ご飯にプレーンライスとタトパニを頼み、メルズーガの宿で頂いたお茶漬けを作製!
涙出るほどうまい。


そして昼からは裏山に2回目の高度順応トレッキングへ。


高度順応で登る山は傾斜が急で割としんどい。


登頂完了。回復を喜ぶ私。


頂上に着くと、先に着いていたイタリア人のナイスミドルが
「Welcome to paradise!!」と声をかけてくれた。
欧米人が言うと何かやらしくなくてシャレてるように感じる笑



アマダブラム。浅井さんもべた惚れな美しさ。今回見た山で一番きれいやった。


荒涼とした風景にはためくカラフルなタルチョ。
そういえば、こんな写真を本で見たのがヒマラヤ行きを決めたきっかけやったな。


水を運ぶおばあちゃん。





この日もレスキューヘリが飛んでいた。
ペリチェにもヘリポートがあって、このとき来ていたヘリは3社あるうちで最も高く、一回5000ドルだそうな…。


緯度が低いのと標高が高いのとで日光は強め。暖かくてありがたい。


ヒマラヤにも温暖化の影響が出ているようで、氷河が溶けて「氷河湖」なるものが出来ているところもあるらしい。
ペリチェに着く前に通った橋は数年前に氷河が溶けた水による洪水で流され、トゥクラ峠も洪水でロッジが流されてしまったため、現在は宿が1軒しかない。
自分たちが通ってきたルートも近い将来通れなくなる可能性もある。
そんな話を浅井さんから教えてもらった。


そんなこんなで下山。


宿に戻るとコテコテの関西弁が聞こえて来た笑
懐かしい気分にる。

話してみると、登山経験バリバリな60代のおじさま3人組はヒマラヤトレッキングの記事の取材に来たらしい。
山と渓谷」という山好きな人の間ではメジャーな雑誌でも連載していたりするそうな。
冷た〜〜〜〜い川の水で頭を洗い「目ぇ覚めたわ〜!!!!」と楽しそうに笑ってたりと、見てて気持ちがいい笑

晩ご飯は節約もかねてベジ・ヌードルにしといたが、おじさまたちはヤクステーキで。
「言うても年やからそんな食われへんし、ちょっと食べとき。」とお裾分けして頂いた。
初めて食べるヤクの味は、牛のような、ラムのような、ヤギのような…
とりあえずスジばっていることと、うまいことは間違いなかった!

おじさまたちは冬山登山の講師をしていたり、台湾の5山制覇していたり、沢登り歴30年以上やったりと、
よくわからんけど凄い人たちやったみたい。
雪崩で友人が巻き込まれて亡くなったりと、危険も経験していた。
それでも山が好きなんがよくわかって、自分も年取ってから身体が動くなら、友達とまたヒマラヤに来たいなと思った。




晩ご飯のあとジャム蔵が「以前にガイドした日本人女性とたまにメールしてるんだが、この英語ってどういう意味?」と聞かれた。
メールの文末に「Love & Kiss ^_^」とあり、「俺には妻も子供もいるんだ!LoveはいいけどKissはダメだ!!」とジャム蔵。
「性的な意味じゃなくて、兄妹みたいに仲良く思ってるんやと思うよ〜」と言うと納得してくれた。

ジャム蔵と行動を開始してはや6日目。
6000m超えるピークハントを何度も経験して登山経験は豊富。
かなりの世話焼きでおしゃべり。
かと思えばたまにすごい無愛想やったり。
「自分はタダでもらえるから」と、宿でもらったタトパニをこっそり分けてくれたり。
良いとこも悪いとこも見えてくるし、ジャム蔵との接し方も何となく自分の中で出来てくる。

日本を出る前に詠んだ「イシューから始めよ」という本で「人間関係では向き合い続けることが大切」と書いてあったのを思い出した。
誰しも良いところも悪いところもあるし、長い間つきあってるから見えてくるものもある。

自分は表面的なとこで、食わず嫌い的に、すぐに人を判断して遠ざけてしまったりもする。
で、あとで「この人こんないいとこあったんや〜」と何か自分が恥ずかしくなる。

でも「この人はどんな人なんやろう、自分はこの人のことどう思ってるんやろう」と、
落ち着いて受け止めていくことは、一周してる間に少しできるようになったと思う。



ジャム蔵とふんわり雲。



トレッキングの間は風景を楽しんだり写真を撮ったりするとはいえ、考え事する時間がめっちゃ長い。






つづく

ヒマラヤ年越しトレッキング〜ノックダウン〜





一夜明けても全く体調は改善せず…。
明らかにガスでお腹ぱんぱんで、朝食のパンケーキも作り置きでまずい。
一口食べてあとは残した(残りはジャム蔵が食べた)。

体の重さ、皮膚の過敏な感じ、無気力…と、水分・ミネラルなど色々と喪失してる感じ。
インドやアフリカなどで腹下したときと同じ。
ここぞとばかりに、いざというときのため日本から持って来ておいた粉末ポカリをお湯に溶かして飲んでおく。
ほんと頼りになります。


出発するも、やっぱ体が重い。
全然足が進まない。
気分も乗らない。
前日までの浅井さんとの位置関係が完全に逆転していた。

でも出発時に浅井さんが「頑張るぞ〜!」と元気に言っているのを見たり、
ジャム蔵も下痢の原因をあれこれと考えてくれたりと、
一人じゃなくて良かったなと思った。
元気出た。


しかし標高3900m付近で足が動かなくなり、大量のガスと腹の中のものを全部戻した。
出たものをよく見ると、昨日の晩飯以降に食べたものが全てそのまま出ていた。
腸にガスが溜まりすぎて、胃より先に進まなかったのかな…?
とにかく、吐いたことで気分は少し楽になり、つらいながらも休憩を取りながら進む。

ペリチェまでは頑張ろうと思っていたが、やはりつらすぎて途中で諦めた。

腹はパンパンで下痢は辛いし、気分は悪いし、靴擦れも起こして歩くの痛いし、
全然楽しくない。
こんなことするためにここまで来たんじゃない。
もう帰ろかな…。

そんなことばっかり考えながら進んだ。


次に休憩を取った宿でこの日はギブアップした。
ジャム蔵が枕を持って来てくれ、窓際で倒れ込むように横になった。
窓から差し込む日光が暖かくて染みた。

昼飯にはチキンスープを。
インスタントを溶かしただけで200ルピーも取るんか…!
と憤りながらも全部飲み、さらにホットポカリも飲み、すぐさまベッドに倒れ込んだ。

少し休んだあと、ジャム蔵と話す。
自分が来たとき、同じくラウンジで寝込んでいたイギリス人女性は馬を借りて先へ進むか下山するかしてしまったそうな。
馬のお値段は200ドル…。
ここの宿代は一泊2ドルくらい…。



ジャム蔵は基本フリーのガイドだが、一応会社にも登録しているらしく、
年が明けた3月に外国からのエベレスト登頂チームのガイドに任命されたそう。
そのため「登頂の2ヶ月前からアイストレーニングを受けなあかん。もう何回も受けてるのに。」と愚痴っていた。
そんなジャム蔵はリュックのベルトもちくちくと直してくれた。





五時ごろには日も暮れて、ヤクパンケーキに火がついて、部屋があったまるとともに香ばしいにおいがした。
「とにかく水分と電解質を摂らねば!」と思い、夕飯にはタトパニ(お湯、80ルピー!)だけを頼んだ。
道中で韓国人トレッカーが心配してくれたインスタントみそ汁と、
パラグアイで出会った荻野さんがくれた、これまたインスタントみそ汁を作る。
さらに塩を結構な量入れて、ゆっくりすすった。
五臓六腑に染み渡った。

浅井さんは本来の目的地のペリチェで明日まで待っていると言っていたが、
体力的にも余裕があったので、行って戻って来て同じ宿に泊まってくれることになった。
やっぱり仲間がいると心強かった。


一夜明けると、体が軽い!
宿のお母さんと子供たちの写真撮る余裕まで出て来た。












ちなみにこの子は女の子。


朝食にはまたタトパニを頼み、日本から大事に取っておいたインスタントのコーンスープを作って飲む。
うますぎる。

出発前には宿のお母さんがサービスでバターミルクティーをくれた。うまい。
お世話にもなったし、手持ちをだいぶ消費したのでトイレットペーパーを購入。
1ロール200ルピー…。



インド、アフリカ、日本とこれまでに3回にわたりひどい下痢を経験し、
今回は過去最悪ではあったけど、経験を活かして何とか乗り越えることができました。

体調とともに気持ちも上向きになり、勢いに乗ってペリチェに到着!
ついに標高は4000mを超えました。

富士山より高い!!




つづく

ヒマラヤ年越しトレッキング〜ティンボチェの夜〜


ティンボチェの寺院では、一日に何度か読経の時間がある。外部の人も見学可能。








高地の厳しい環境でストイックに修行をつむお坊さん…。
でも僧衣の下にかなり厚手のダウンジャケットを着込んでいたのが現代的だった笑


見学は無料ですが、出来たらお布施をお願いします。



村をぷらぷら。


オフシーズンということもあって、宿は2軒しか開いてなかった。
部屋は確保できたものの、本館は満室だったので別館をわざわざ開けてもらった。
こちらは本館。








村のはずれに祭壇を見つけたので行ってみると、ヤクがとおせんぼ…。


どいてくれへんかな〜…と恐る恐る近づくと


思いっきり威嚇されました。


怖すぎたので一度退散!

行き倒れ写真を撮ったりして

しばらく時間を置いてから、ヤクが消えたのを確認して再チャレンジし、今度は無事到着。


その辺に腰掛けてぼーっとする。
周りの山を眺めながら、風の音、遠くを流れる水の音、たまに聞こえる鐘の音。
タルチョが風になびいてる。
「良い時間!」と楽しくなった。


日も傾いてきた。






この村からは夕焼けに染まるエベレストが見物。


宿のラウンジでちらちらと外を伺って、奇麗に色づくタイミングを狙っていた(寒いので)。
「今や!」と外に飛び出すと、他のトレッカーもこの景色に気づき、慌ててカメラを持って外に出て来た。
ラウンジにガイド以外誰もいなくなったのが少し面白かった。


その後、宿で晩ご飯を食べていると、大学の友達に瓜二つな人を発見!


思わず記念撮影をお願いしてしまった笑
ロシア在住の韓国人らしい。
値段の割に残念な晩ご飯を済ませ、夜景撮影タイム!!






けっこう寒いけど、楽しくて気にならない。






自分的とれ高OKが出たので部屋へ戻る。


部屋の磨りガラスの向こうに廊下の電球が透けて、幻想的な写真が撮れた。

あとは明日に備えて休むぞー!とベッドへ潜り込んだ。











深夜1時ごろ。
吐き気と便意で眼をさます。
しばらくベッドで横になっていたが、これはヤバい!とおもいトイレへ。

別館のトイレは実はただのシャワールームで、そこの排水溝に用を足してくれと言われていた。
「大きい方はどないすんの」と聞くと、
「本館のトイレを使ってくれ。本館入り口のカギは開けとくから。」

そんなやり取りを思い出し、急いで本館へ。









カギ開いてへん。










ノックしても反応無し。
まあ…そんなもんでしょう。
もう外国のサービスには期待してません。


だがしかし!
事態は一刻を争うと判断した私は、









私は…












アウトドアプレイを決行。





月明かりがすごく明るくて、地面もよく見えた。
風がけっこう強くて、さらけ出したケツに染みた。
「俺はなんでこんなところでこんなことを…」
と頭に浮かぶも気分の悪さが増してきて、それどころじゃない。

用を済ませて、ベッドに倒れ込む。
しかし1時間後、再び目覚める。

寝返りを打つたびに、張った腹の中を「こぽこぽこぽ…」と水とガスが移動する音がする。
前屈みになると腹の中がガスで圧迫されて、腸がキリキリと痛む。
すごい量のゲップも何回も出て、腐った卵と米が混じったような匂いがした。


ケツに当たる風が本当に冷たかったので、アウトドアプレイPart2は何とか避けられないかと考えを巡らせる。
昼に別館をうろうろしていたとき、誰も泊まっていないフロアにトイレの表示を見たのを思い出し、行ってみる。

ドアを開けると、そこには奇麗な洋式のトイレが!!!!
思わずガッツポーズを取る。この夜はこのトイレがベースキャンプとなったのであった。





この夜をきっかけに、以降のトレッキングは非常につらいものに…。






つづく

ヒマラヤ年越しトレッキング〜ティンボチェ〜




高度順応も無事に終え、ナムチェを出発。


山の植物を撮りながら。

















浅井さんは前回エベレスト街道に挑戦したときはナムチェの手前にある坂で高山病を発症してギブアップしていた。
それもあって、今日からきっと自分は遅れるだろうと言われていた。

予告通り、高山病は大丈夫だがペースが思わしくない浅井さん。
僕は写真を撮るのが楽しくてしょっちゅう立ち止まっていた。
しかし、ジャム蔵は僕らを放っておいて先へ先へ…
しかも携帯でずっと誰かと世間話をしている。
名前を呼んでも気づかない。
これはひどい

「あなたは僕らのポーターでありガイドやねんから、電話してもいいけど、僕らの安全には気を払ってよ。それが仕事でしょ。」
と一度お説教。
ごにょごにょと言い訳をしていたが、その後は携帯の電源も切り、こまめに気をかけていた。
でも「ナムチェで自分の知り合いの宿に泊まればもっと安くついたし、今日もっと先まで行けたのに…」とか、
こちらの選択を否定してくるのが鬱陶しく、いらいらしてしまった。

でもお昼にツナパスタを頼んだら、ただの油まみれのパスタで哀れに思ったのか、ジャム蔵が自分の鶏肉を少しくれた。
すんごいいい奴に思えた。


夜は冷えるので、道がところどころ凍っていた。




途中ですれ違った親子。
かごいっぱいに入っているのはヤクの糞!


木の少ない高地では貴重な燃料に。
ナムチェより上ではヤクの糞を燃やすストーブばっかりだった。
においは特に臭くない。

ジャム蔵いわく「ヤクパンケーキ」
ロッコの「ラクダチョコ」を思い出した。
下ネタは世界共通なのだ。


ナムチェを出発して約6時間…


本日の目的地・ティンボチェに到着。


エベレストが奇麗に見える。ここを出ると、最後の村・ロブチェまでエベレストは見えない。


何事もなくこの村で一泊し、さらに先へ先へ!!!
あと2、3日であのエベレストの麓へ!!!!

















…のはずだったのに。







つづく




ヒマラヤ年越しトレッキング〜高度順応①〜




ナムチェはエベレスト街道で最も大きい村であり、最初の高度順応の拠点となるところ。
買い忘れたトレッキング用品も値段を気にしなければ大体そろいそう。





お土産も。ヤクの首についてるやつ。
山道でこれの音が聞こえたら、速やかに避けるべし。
ただし山側に(谷側だと追いやられて落ちる可能性あり)


大きな通り以外はやっぱり山村の雰囲気。














ナムチェ二日目。
この日はエベレスト・ビューホテルというところまで往復し、高度に体を慣らす。


さすがに少し体が重い。そしてこの傾斜…。


途中でヘリポート(ただ何も生えてないとこ)を通る。




ヘリが来た。


すんごい土ぼこり。数十メートル離れてても飛んで来る。





ルクラやカトマンズからの往復ヘリでかかる費用は数十万円…。
海外旅行保険とか使えば適用されるみたいやけど、お金持ちは最初からヘリで上の方まで行き、帰りもヘリで帰ってくるらしい。
どないやねん。

高山病により自力で下山できなくなった人のためのレスキューヘリは毎日何本も飛んでいた。


ヘリはクレジットカードなどお金の算段がとれればすぐに飛んで来るらしいが、
そうでなければ保険の確認などで対応が遅れることもあり、もたもたしていると最悪の場合命に関わる。
まあ命に関わることやし、数十万で済むならすぐにでも呼ぶべきかなと思った。


高度順応は続きます。


エベレスト街道のこんな狭い道とかでは、以前はマオイストが通行料を無理矢理払わせる関所のようなところもあったそうな。


しんどいけど頑張って進み…


とーちゃく。ホテルのテラスはレストランになっており、宿泊客以外も利用できる。


ちなみにこのホテルの宿泊料は数万円!
レストランも一番安いガーリックスープで300円!
メニューには「さらに税金が25%加算されます」の表示!
あほか!!!!


でもやはり景色はいい。
左の後ろのほう、見えてますね〜世界最高峰!右手のアマダブラムも美しい!!


行くぜ!と気合いを入れつつ、


下山開始。


ナク(メスのヤク)に見送られつつ


急な傾斜をすたすた。


帰ってきました。




そんでもって夜。

充電がタダという地の利を活かし、iPhoneに入れてきた映画を見る。
ニューシネマパラダイス」「パッチギ!」「ガンジス河でバタフライ」の3本。
最初の二本はたまらなかった。
「ガンジス河で〜」は豪華キャストの割に何か安っぽくてつまらん。
インドで原作も詠んでみたけど、う〜ん…。
でもバラナシでロケに使われた宿にはずっとお世話になった。


夜も更けてきたころ、部屋から夜間撮影。


ピントの合わせ方が少しわかってきたけど、やはり難しい…。



良く眠り、高山病の兆候もなし!
しかし、次なる目的地は標高4000メートルオーバー、タンボチェ。
同じく4000メートルオーバーのペルー・コルカ渓谷では以前高山病を発症したので、少し不安になりながらも出発。


テーブルの上に息子さんのMacBook
そういや留学先はピッツバーグ大学って言うてたかな。


つづく