獣の旅と音楽

旅の思い出、獣医としての生活、あと音楽とか

ヒマラヤ年越しトレッキング〜ティンボチェの夜〜


ティンボチェの寺院では、一日に何度か読経の時間がある。外部の人も見学可能。








高地の厳しい環境でストイックに修行をつむお坊さん…。
でも僧衣の下にかなり厚手のダウンジャケットを着込んでいたのが現代的だった笑


見学は無料ですが、出来たらお布施をお願いします。



村をぷらぷら。


オフシーズンということもあって、宿は2軒しか開いてなかった。
部屋は確保できたものの、本館は満室だったので別館をわざわざ開けてもらった。
こちらは本館。








村のはずれに祭壇を見つけたので行ってみると、ヤクがとおせんぼ…。


どいてくれへんかな〜…と恐る恐る近づくと


思いっきり威嚇されました。


怖すぎたので一度退散!

行き倒れ写真を撮ったりして

しばらく時間を置いてから、ヤクが消えたのを確認して再チャレンジし、今度は無事到着。


その辺に腰掛けてぼーっとする。
周りの山を眺めながら、風の音、遠くを流れる水の音、たまに聞こえる鐘の音。
タルチョが風になびいてる。
「良い時間!」と楽しくなった。


日も傾いてきた。






この村からは夕焼けに染まるエベレストが見物。


宿のラウンジでちらちらと外を伺って、奇麗に色づくタイミングを狙っていた(寒いので)。
「今や!」と外に飛び出すと、他のトレッカーもこの景色に気づき、慌ててカメラを持って外に出て来た。
ラウンジにガイド以外誰もいなくなったのが少し面白かった。


その後、宿で晩ご飯を食べていると、大学の友達に瓜二つな人を発見!


思わず記念撮影をお願いしてしまった笑
ロシア在住の韓国人らしい。
値段の割に残念な晩ご飯を済ませ、夜景撮影タイム!!






けっこう寒いけど、楽しくて気にならない。






自分的とれ高OKが出たので部屋へ戻る。


部屋の磨りガラスの向こうに廊下の電球が透けて、幻想的な写真が撮れた。

あとは明日に備えて休むぞー!とベッドへ潜り込んだ。











深夜1時ごろ。
吐き気と便意で眼をさます。
しばらくベッドで横になっていたが、これはヤバい!とおもいトイレへ。

別館のトイレは実はただのシャワールームで、そこの排水溝に用を足してくれと言われていた。
「大きい方はどないすんの」と聞くと、
「本館のトイレを使ってくれ。本館入り口のカギは開けとくから。」

そんなやり取りを思い出し、急いで本館へ。









カギ開いてへん。










ノックしても反応無し。
まあ…そんなもんでしょう。
もう外国のサービスには期待してません。


だがしかし!
事態は一刻を争うと判断した私は、









私は…












アウトドアプレイを決行。





月明かりがすごく明るくて、地面もよく見えた。
風がけっこう強くて、さらけ出したケツに染みた。
「俺はなんでこんなところでこんなことを…」
と頭に浮かぶも気分の悪さが増してきて、それどころじゃない。

用を済ませて、ベッドに倒れ込む。
しかし1時間後、再び目覚める。

寝返りを打つたびに、張った腹の中を「こぽこぽこぽ…」と水とガスが移動する音がする。
前屈みになると腹の中がガスで圧迫されて、腸がキリキリと痛む。
すごい量のゲップも何回も出て、腐った卵と米が混じったような匂いがした。


ケツに当たる風が本当に冷たかったので、アウトドアプレイPart2は何とか避けられないかと考えを巡らせる。
昼に別館をうろうろしていたとき、誰も泊まっていないフロアにトイレの表示を見たのを思い出し、行ってみる。

ドアを開けると、そこには奇麗な洋式のトイレが!!!!
思わずガッツポーズを取る。この夜はこのトイレがベースキャンプとなったのであった。





この夜をきっかけに、以降のトレッキングは非常につらいものに…。






つづく

ヒマラヤ年越しトレッキング〜ティンボチェ〜




高度順応も無事に終え、ナムチェを出発。


山の植物を撮りながら。

















浅井さんは前回エベレスト街道に挑戦したときはナムチェの手前にある坂で高山病を発症してギブアップしていた。
それもあって、今日からきっと自分は遅れるだろうと言われていた。

予告通り、高山病は大丈夫だがペースが思わしくない浅井さん。
僕は写真を撮るのが楽しくてしょっちゅう立ち止まっていた。
しかし、ジャム蔵は僕らを放っておいて先へ先へ…
しかも携帯でずっと誰かと世間話をしている。
名前を呼んでも気づかない。
これはひどい

「あなたは僕らのポーターでありガイドやねんから、電話してもいいけど、僕らの安全には気を払ってよ。それが仕事でしょ。」
と一度お説教。
ごにょごにょと言い訳をしていたが、その後は携帯の電源も切り、こまめに気をかけていた。
でも「ナムチェで自分の知り合いの宿に泊まればもっと安くついたし、今日もっと先まで行けたのに…」とか、
こちらの選択を否定してくるのが鬱陶しく、いらいらしてしまった。

でもお昼にツナパスタを頼んだら、ただの油まみれのパスタで哀れに思ったのか、ジャム蔵が自分の鶏肉を少しくれた。
すんごいいい奴に思えた。


夜は冷えるので、道がところどころ凍っていた。




途中ですれ違った親子。
かごいっぱいに入っているのはヤクの糞!


木の少ない高地では貴重な燃料に。
ナムチェより上ではヤクの糞を燃やすストーブばっかりだった。
においは特に臭くない。

ジャム蔵いわく「ヤクパンケーキ」
ロッコの「ラクダチョコ」を思い出した。
下ネタは世界共通なのだ。


ナムチェを出発して約6時間…


本日の目的地・ティンボチェに到着。


エベレストが奇麗に見える。ここを出ると、最後の村・ロブチェまでエベレストは見えない。


何事もなくこの村で一泊し、さらに先へ先へ!!!
あと2、3日であのエベレストの麓へ!!!!

















…のはずだったのに。







つづく




ヒマラヤ年越しトレッキング〜高度順応①〜




ナムチェはエベレスト街道で最も大きい村であり、最初の高度順応の拠点となるところ。
買い忘れたトレッキング用品も値段を気にしなければ大体そろいそう。





お土産も。ヤクの首についてるやつ。
山道でこれの音が聞こえたら、速やかに避けるべし。
ただし山側に(谷側だと追いやられて落ちる可能性あり)


大きな通り以外はやっぱり山村の雰囲気。














ナムチェ二日目。
この日はエベレスト・ビューホテルというところまで往復し、高度に体を慣らす。


さすがに少し体が重い。そしてこの傾斜…。


途中でヘリポート(ただ何も生えてないとこ)を通る。




ヘリが来た。


すんごい土ぼこり。数十メートル離れてても飛んで来る。





ルクラやカトマンズからの往復ヘリでかかる費用は数十万円…。
海外旅行保険とか使えば適用されるみたいやけど、お金持ちは最初からヘリで上の方まで行き、帰りもヘリで帰ってくるらしい。
どないやねん。

高山病により自力で下山できなくなった人のためのレスキューヘリは毎日何本も飛んでいた。


ヘリはクレジットカードなどお金の算段がとれればすぐに飛んで来るらしいが、
そうでなければ保険の確認などで対応が遅れることもあり、もたもたしていると最悪の場合命に関わる。
まあ命に関わることやし、数十万で済むならすぐにでも呼ぶべきかなと思った。


高度順応は続きます。


エベレスト街道のこんな狭い道とかでは、以前はマオイストが通行料を無理矢理払わせる関所のようなところもあったそうな。


しんどいけど頑張って進み…


とーちゃく。ホテルのテラスはレストランになっており、宿泊客以外も利用できる。


ちなみにこのホテルの宿泊料は数万円!
レストランも一番安いガーリックスープで300円!
メニューには「さらに税金が25%加算されます」の表示!
あほか!!!!


でもやはり景色はいい。
左の後ろのほう、見えてますね〜世界最高峰!右手のアマダブラムも美しい!!


行くぜ!と気合いを入れつつ、


下山開始。


ナク(メスのヤク)に見送られつつ


急な傾斜をすたすた。


帰ってきました。




そんでもって夜。

充電がタダという地の利を活かし、iPhoneに入れてきた映画を見る。
ニューシネマパラダイス」「パッチギ!」「ガンジス河でバタフライ」の3本。
最初の二本はたまらなかった。
「ガンジス河で〜」は豪華キャストの割に何か安っぽくてつまらん。
インドで原作も詠んでみたけど、う〜ん…。
でもバラナシでロケに使われた宿にはずっとお世話になった。


夜も更けてきたころ、部屋から夜間撮影。


ピントの合わせ方が少しわかってきたけど、やはり難しい…。



良く眠り、高山病の兆候もなし!
しかし、次なる目的地は標高4000メートルオーバー、タンボチェ。
同じく4000メートルオーバーのペルー・コルカ渓谷では以前高山病を発症したので、少し不安になりながらも出発。


テーブルの上に息子さんのMacBook
そういや留学先はピッツバーグ大学って言うてたかな。


つづく

ヒマラヤ年越しトレッキング〜ナムチェ〜




クリスマスの朝。
5時頃に目が覚め、二度寝しようとするもすっかり体が起きてしまう。
6時半には準備を始め、7時ごろ食堂にて朝食。
パンケーキとジンジャーティー。うまい!

一度家に帰って準備をしてきたジャム蔵とも合流し、8時頃には出発!











11時ごろにはジョルサレに到着。


お昼ご飯にはベジ・フライドライス(450円!)とガーリックスープ(50円)
ガーリックスープは高山病予防に良いともっぱらの噂だったので願掛けがてらよく飲んだ。
どこで飲んでもけっこうおいしい。

この辺りではまだまだ緑が多い。













タルチョ+αがはためく吊り橋。


ワイヤー製なので強度は安心。のはず…。


途中で関所のような小屋が…。


ここでTIMSのチェックと、入山料?をさらに払う。


ネパールはトレッキングを観光の売りにしていることもあり、入山料はけっこう高い。
カトマンズのタメル地区でも安いとこなら一食100円、宿も一泊数百円のところ、入山料で6000円くらい必要だったような(うろ覚え)
まあ山の物価は低地とは別物と思わねばならないし、このトレッキングにそれだけの価値は十分に見いだせました!


途中ではじめてエベレストを肉眼で確認!
あの麓まで行くんやな〜とは思いつつもまだ現実感が薄かった。


15時ごろ。
数年前に浅井さんが高山病を発症して途中リタイアしたという長い急な坂もクリアし、思ってたよりは余裕でナムチェに到着!


エベレスト街道では多分一番大きい村です。


遅いけどネカフェもある。
トレッキング用品の調達や充電が十分にできるのはここまでと思っておいたほうがいいそうな。


写真をいっぱい撮りたい自分としては、カメラの充電は必須。
カトマンズで聞いた話では、ナムチェのZumling Guest Houseは充電が無料!とのこと。

ジャム蔵は自分の知り合いがやってる宿に連れていきたいみたいだったが、「充電タダでしたいから!」と押し切る。
ジャム蔵は渋い表情ながらも交渉して宿代を少しまけてくれた。

こちらのお宿は確かに充電は無料で出来たけど、宿代が少し高め…。
まあ内装は奇麗やし、ご飯もおいしい。
ホットシャワー(300円)は湯量も十分でめっちゃ気持ちよかった。

このファミリーなかなか儲けているようで、トレッキングのオフシーズンはヘリコプターでカトマンズまで移動し、別の仕事をするらしい。
自分たちが下山して来るころにはもう宿は閉めているとのことだった。
ちょうど里帰りをしていた息子さんは、現在アメリカの大学に留学中で、実家である宿ではMacBook ProWi-Fiに繋ぎつつ衛生放送のテレビを見ていた。
ここは本当に山ですか。


山でのランドリーサービスはこんな値段なので、シャワーのときに自分で洗って乾かすことに。(当時は1ルピー=1円)


ナムチェでは高山病予防のため2泊し、近くの山に登って「高度順応」を行うことに!



つづく

ヒマラヤ年越しトレッキング〜クリスマス〜


トレッキング初日、パクディンにて宿泊。


食堂兼共有スペース。




暖房は薪ストーブ。かなり暖かい。




部屋はどの宿でも個室。


電気は部屋の灯りくらいなら標高が高くなっても割と大丈夫。


むしろ首都のくせに停電時間が長過ぎなカトマンズより電灯ついてる時間は長い。笑
電気のホットシャワーも頼めば浴びれるが、1回数百円かかるし湯量も少なそうで、逆に体が冷えそうだった。

キッチン。




良い味が出てるお父ちゃん。


お母ちゃんと息子さん。愛想は良くも悪くもない。笑



日が落ちるころの村の様子。
























































欧米風な作りをしたバーもある。


ビリヤードで遊ぶ現地の少年たち。



翌朝。朝8時過ぎに出発。
すると妙な格好の集団が…。


実はこの日はクリスマス!欧米人トレッカー集団のポーターたちでした。


他のグループでもやっぱりサンタが。


と思ってたらガチサンタ発見!


聞けばサンタはアメリカから来たらしく、せっかくなので道中子供たちにプレゼントを配っているとのこと。


子供たちも楽しそうでした!



ちなみにこのサンタとその相棒の二人は、この後1週間くらい行く先々で見かけることになる。






サンタは翌日からは普通の人に戻っていたが、中身もやっぱり普通。
標高が高くなるとへばったりもしていた。

しかし相棒のほうは、競歩みたいなスピードで標高5000m以上でもスイスイ進んでいた。
僕と浅井さんは敬意を評して彼を「スーパーマンと呼んだ。


僕らはマイペースに、のんびり・ゆっくり・ビスターリで進むことに。


つづく


ヒマラヤ年越しトレッキング〜ルクラ-パクディン〜




カトマンズから無事にルクラに到着。
ルクラは標高2800mくらい。
きれいなカフェもあり、一応スタバもあるけどやっぱり山の村といった趣。


カトマンズの空港で一本後の飛行機に乗る浅井さんと知り合い、
行程・日程がほぼ同じ、しかも登山経験豊富ということだったのでご一緒させてもらうことに。

到着後、浅井さんを待つ間に行動開始。
荷物はカトマンズの宿にだいぶ置いて来たつもりが結局10キロくらいになってしまい、
本格的なトレッキングは初めてだったので「ポーター」と呼ばれるガイド兼荷物持ちを現地調達することに。

ポーターはカトマンズの旅行代理店などで頼んでも雇うことができる。
しかし、カトマンズで雇ったポーターは高地に慣れていなかったり経験不足なことが多いらしい…。
中にはこっちより先に高山病になったり風邪を引いてしまったりで、
「俺はもうだめだ、休ませてくれ…」
「しんどいから荷物は自分で持って」
「そもそも俺はガイドであってポーターではないんだ」
などなど、君何のためにここにいるの…ということになった話もよく聞いた。

トレッキングの道中も「あれがエベレストだ!」と説明している若いポーターに
うちのポーターが「いやあっちだし」と訂正してあげたり。
カトマンズから来たそのポーターはこのときが初仕事だったらしい。

そしてカトマンズで雇う場合、ポーターの飛行機のチケット代+一日3000円くらいは必要とのこと…。
予定している行程は約10日。
そんなに払えるかー!!

そんな訳で、ルクラ以降の道中で、現地民(シェルパ)のガイド兼ポーターを雇おうと決めていた。


空港で荷物を受け取るときから一人のおっちゃんにやたらと声をかけられる。
「ポーターするよ。」
「一人じゃしんどいし危ないぜ。」
「俺ってば経験豊富だってばよ。」
基本的に土産売りとか、自分で売り込んでくる人はスルー。
今まで自分から寄ってきた人であまり良い思いをしたことがない。
トレッカーが何十人もいる中で唯一のアジア顔な自分だけに声をかけてくるのもなんだかなー…と。
でも今思えば、あのおっちゃんも必死に仕事取ろうと頑張ってただけなんかな…。

ポーターを手配してくれる宿が歩き方に載ってたので、とりあえず行ってみる。
きれいなロッジみたいな作りでいい感じ。
しかしポーターの給料は一日約1000円(ポーターの宿泊費・食費などすべて込み)とのこと。
ネットでは500〜800円くらいで雇えるとあったのでここはお断り。

でも次の宿でも同じ値段を言われたので、これが今(2013年12月)の相場やったみたい。
空港の滑走路も見えるので、ここで浅井さんを待ちながらポーターも手配してもらった。
やって来たのはその名も「ジャム蔵」
39歳2児の父。
「標高6000mまでは俺の庭」と豪語する彼ですが、結果的に大当たりでした。


お昼はその宿でダルバート(約400円)を食べ、いよいよ出発!


エベレスト街道の入り口。


初日はルクラからパクディンという村まで歩く。


道中は物資を運ぶポーターと多くすれ違う。
ヘリなどでの輸送は費用が高すぎるので大体人力輸送。


12月は少し寒くベストシーズンではないが、天気は一年で最も良いらしい。




「マニ」と呼ばれる石碑。
チベット仏教のお経?が刻まれているらしい。通るときは左側通行が暗黙のルール。





標高5000mより上でもファンタやスプライトは買える。
ただし高いし、いつからそこにあるのかわからない。


チャイを飲みつつ休憩も。


登山道のトイレ。


もちろん水洗ではない。良い言い方をすればエコ。


吊り橋と中?学生。


揺らさないで…笑


この辺はまだまだ村。












マニ車」。一回回すとお経を一回詠んだことになるというちゃっかりアイテム。


こちらもちゃっかりアイテム「タルチョ」。風に一回なびくとお経一回分のご利益。



3〜4時間くらい?歩いてパクディン到着。
初日はここで宿を取る。

コネでジャム蔵の知り合いの宿に泊まる。
個室で一泊120円くらい?やったかな。
ベッドと毛布しかない部屋やけど、まあ十分でした。


つづく


ヒマラヤ年越しトレッキング〜準備・出発〜

カトマンズ二日目。

さっそくエベレスト街道トレッキングの準備。
まずは入山に必要な書類(TIMS)を取得しに行く。




場所はすぐわかる。記入も簡単。




トレッキングするときはTIMSだけでなく、入山料を現地で払う。
エベレスト街道は合わせて100ドルくらいやったかな。
ネパールの物価を考えると非常に高額。


でもって装備を整える。
トレッキングっぽいことは、屋久島とシナイ山みたいな何となく行けるとこしか経験が無い。
まずはネットと宿の旅人から情報収集。

タメル地区にはトレッキング用品店が無数にあるので何でもそろう。
パチもんばっかりやけど結構しっかりした作りな気がした。
厚手の靴下、Nalgene(水筒的ボトル)は買う価値あり。
Nalgeneはお湯を入れて湯たんぽとしても使える。
雪が積もってしまったときのことを考えて、登山靴もけっこう良いやつを買っておいた。

町中には刺繍屋が多い。
店の親父さんが同じデザインのジャケットを取り出し、
「パタ○ニアとノース○ェイスどっちがいい!?(ロゴだけ違う)」
とどや顔で尋ねてきたりも…笑
土産物屋も多く、かわいい雑貨がいっぱいで買い物楽しい。そちらはまた後ほど…。


トレッキングショップの中にはレンタルしてるとこもあると聞いてたので探してみる。
店先に看板出ててもレンタルは品切れってとこが多かった。
何軒かまわってようやく借りれるとこを発見。
寝袋、手袋、ストック、ダウンジャケットを2週間で3〜4000くらい?でレンタル。

宿のベッドは毛布があっても寒くて寒くて、寝袋はカトマンズにいる間はずっと借りてた。
一日50円くらい。

あとは高山病予防薬(ザイモックス)、浄水剤、糖分補給用のおかし。
ザイモックスはそれなりに効果あった気がする。
浄水剤は山の水でも飲めるようになる。
標高が高くなるほど水の値段は高くなるのでだいぶ節約できる。
おかしは歩きながら食べれるチョコや飴などを。
足下見てるのかタメルでチョコはけっこう高い。


そして飛行機のチケット。
イエティエアーの往復で300ドルくらいやったかな?
宿の近くの代理店で取ってもらった。
ラッキーなことにすんなり12月24日朝一発のが取れた。


情報収集してタメルを歩き周って、2、3日で準備完了。


出発当日。
天候によって欠航になることがしょっちゅうだが、運良く1時間くらいのディレイで飛んでくれた。










搭乗すると、耳栓用の綿とお菓子が配られる。


エベレスト街道の出発点・ルクラまでは1時間かからない。


バスと徒歩で4、5日かけてこの山道を歩く猛者もいるらしい…地元民もきついという険しい道。


素晴らしい雪ととんがり具合!



実はルクラの空港は、着陸時の事故が世界でもトップクラスに多い。
この3ヶ月前にも着陸ミスの事故で乗客・パイロット全員が亡くなったところ…。
心配させないようにその話はせず、身内には前日に一応連絡(お別れ)をしておいた笑

パイロットがリラックスしてれば大丈夫。顔が強ばってたら覚悟決めたほうがいい。」
と宿の旅人から聞いていたので、ちょくちょく顔色を伺う…。


滑走路が見えた。






パイロットの表情は!?





割と普通!!!



普通に到着。


無事に送り届けてくれて本当にありがとう!




そんなこんなで、トレッキングスタートです。



つづく