獣の旅と音楽

旅の思い出、獣医としての生活、あと音楽とか

[[15]エジプト]カイロ〜デモ〜

カイロ二日目。


ダハブでゆっくりしたことやしと、カイロでは観光モードに切り替えてさっそくエジプト博物館へ!




チケットにも描かれてるツタンカーメン王の黄金のマスクがここには展示されています。
去年の夏大阪にも来てたな〜。

開館10分前には入口に並び、オープンと同時にまっすぐ2階へ!!
ミーハーなんが僕しかおらんかったからか、みんな律儀に一階から順番に見て回るからか、しばらく黄金のマスクを独占。
博物館内は写真撮影が禁止なのが残念やったけど、他の豪華な装飾品もじっくり見れたのは良かった。

展示品は壁画、石像、絵画、装飾品となんでもあり。
しかし歩き方に書いてある「巨大な物置」感はいなめない。
展示品には触ったらあかんことにはなってるけど、掃除係りは布でばったんばったんはたいて埃をはらってるし直接水ぶきしてたりするし。
エジプト人の適当さを感じつつも、イギリスの大英博物館が展示・保管方法に問題があると言ってスフィンクスの鼻とひげを返還しないのも少し納得した。

写真撮らんかったらゆっくり見ても大体2時間あれば十分でした。


で、博物館の横にある、この焼け焦げた建物…。


2011年の「エジプト革命」に際してデモ隊によって火がつけられてしまった国民民主党本部ビルなのだ。



エジプト革命について簡単に説明すると…

2010年末、北アフリカチュニジア独裁政権が暴動により打倒される(ジャズミン革命)

近隣アラブ諸国反政府運動が飛び火(アラブの春

2011年1月25日、同じく30年近く独裁政権を続けてきたムバラク政権が崩壊

という流れ。

革命が起こった他の主な要因としては
ムバラク大統領の長期独裁政権、腐敗した権力層への不満
・不況と若年層の高い失業率
・インターネット(facebook,twitterなど)による呼びかけで運動が波及
などが挙げられるようです。


地下鉄の駅にはムバラク大統領にちなんだ名前がつけられてたけど、革命時にやられたのか塗りつぶされていた。
今は駅の名前は変わっている。



で、独裁政権も崩壊してエジプトは平和になったのかというと、2012年12月には大規模なデモが再び起こっていた。



ムバラク政権時代は、ムスリム同胞団ムスリムブラザーフッド、穏健派イスラム集団)、リベラル派、キリスト教派、その他の団体などが、「反ムバラク」を合言葉に表面上は団結していた。

しかしムバラク政権崩壊後、今度はムルシ政権(ムスリム同胞団が母体)と、リベラル派などの団体で衝突が起こるようになり、さらにムルシ大統領は2012年12月ごろ、新憲法作成に際し一時的に大統領決定に反対できなくなるような法案を作ってしまい国民の不満は大爆発。
なんせやってることはムバラク時代の独裁と似たようなもんなので。


ちなみにこの「ムスリム同胞団」、宿のエジプト人が何か自信満々に説明してくれたけど、英語が訛りすぎてて意味わからんかったから自分で調べた。笑

ムスリム同胞団スンナ派に属するイスラム主義集団。
イスラム=テロと連想されやすいが、ムスリム同胞団原理主義的な急進的活動を取る人たちやテロ活動を行うイスラム過激派の人たちには反対する姿勢を取るため「穏健派」とも呼ばれる。
モスク建設などの宗教的活動に加え、一般市民に対して医療や教育、貧困家庭への経済支援などの社会活動を積極的に行ったことから民衆の支持を集め、現在の法律では非合法政党でありながら議会で多数の議席を獲得している。

しかし、同胞団の理論家(ご意見番?)であったパレスチナ人アブドゥル・アザームは、テロ活動集団アルカイダの親玉であったウサマ・ビンラディンの師であり、先日イスラエル軍との抗争があったガザ地区を実効支配しているハマースは同胞団のパレスチナ支部武装闘争部門でもある。
イスラム組織間のつながりも色々あるみたいで、やっぱりテロや紛争と全くの無関係とはいかんのかな。


適当に町歩きしてると何か騒がしい雰囲気…


知らん間にデモ活動の中心部である「タフリール広場」と「カイロ・アメリカン大学」の近くまで来てしまっていた様子。

遠くから見てると、建物に投石してた。




この辺ではよく暴動と、軍や警察による鎮圧が行われてるからか、建物にも焦げ跡が。火炎瓶も飛び交ってた。


完全防御のジャーナリストもいた。


小さい子もちょくちょく見かける。でも彼らはただデモに乗じて暴れたいだけといった印象。





別の日。宿の近くの道路でまたデモ。遠くからデモを見守る人たちも所々で議論している。




デモ隊が通る道で軍が催涙弾を使ったようで、苦しみながら逃げてくる一般市民も多くいた。


さらに別の日。この日はエジプト各地からデモに参加するために人が集まったらしく、その規模は数万人にのぼった。







カイロを出る直前、デモがおさまってるころを見計らいタフリール広場まで行ってみた。


デモ隊が本拠地を張ってます。


この日はデモもなく特に危険な雰囲気はなかったけど、所々で演説が飛び交ってた。




町中や地下鉄、バスの中など、いたるところでエジプト人たちが「タフリール」と口にしているのを耳にした。


テレビの取材も。




そんでもって、ようやく見れた笑革命アート。けっこうな数があったのでこれはまた次回。




今回の旅で、いやになるくらい浮き彫りになった自分の特徴の一つが「興味がないことへの無関心さ」。
きっと誰でもそうやとは思うけど、日本でこういうニュースを見ても、行ったことのない国やと「他人事」で終わってしまう。
実際に訪れ巻き込まれたことがきっかけになって、国際政治や宗教について自分で学べて良かった。
これからも同じようにって具合には出来んけど、以前よりは国際ニュースとかに関心を持てたらなーと思う。


国が不安定な時期に育つエジプトの子供たちは、この先何を思うんやろか〜と思いながらの一枚。がんばれ。



つづく