[[14]イスラエル]ベツレヘム〜生誕教会+分離壁〜
イスラエルで最後に訪れたのは、エルサレムの隣町・ベツレヘム。
ベツレヘムと言えば、イエスの生まれた町。
出産時にしゃあなしのしゃあなしで使うことになった馬小屋*のところには教会が建てられております。
(*詳しくは聖墳墓教会編参照のこと…)
また、クリスマスツリーのてっぺんと言えば星が飾られてますが、あれは「ベツレヘムスター」と言うそうです。
なんでもイエスが生まれたとき、ベツレヘム上空に星がびかーーっ!と輝いてたと言われることから飾られるようになったとか…。
そんな町ベツレヘムには、エルサレム旧市街からバスで20分くらいで行けちゃいます。
生誕教会まで、その辺の人に道を尋ねながらしばらく歩いた。
エルサレムよりスカーフ巻いてる女の人多い
町並みもどこかアラビア色強し
実はベツレヘムは「パレスチナ自治区」にあたり、パレスチナ人=アラブ人、ムスリムが多く住んでいる。
物価もエルサレムより気持ち安め。なんでやろ。
ぷらぷら歩いてると見えてきた。
生誕教会の入口はやたら小さい。
「謙虚の扉」と呼ばれてるそうなので、「頭下げてかしこまって入ってこいよー!」という意図なんかしら。
茶室の入口みたいなもんかな…。
中はこんな感じ。
この教会の奥にはイエスが産み落とされた場所が祭壇となっているんですが、聖墳墓教会のイエスの墓に引き続き
この行列。
2秒で見るのを諦め、おとなしく教会内をぶらぶら。
床下にモザイク貼りのタイル。
きれいですなあ。
この柱たちなんか好きやった。
布の刺繍もかわいい。
とまあ30分くらいでささ〜っと見終わり笑、翔さん・まいこさんに頂いた地図を頼りに、町の北を目指して歩いた。
目的地は、パレスチナ自治区とエルサレムの境界となる「分離壁」。
ベツレヘムに来たのも生誕教会よりこっちを一目見ておきたかったから。
で、イスラエル入国編でもちらっと触れた「パレスチナ問題」。
いろんな解釈があるし、ソースはネットばっかりやけど、せっかくやし簡単に調べてみた。
1、ユダヤ人は大昔は自分たちの国「イスラエル」に住んでいたが、戦争で負けてからは迫害を受け、自分たちの国を持たず色んな国に少数派として住んでいた。
そんな状況を打開し、「土地なき民に、民なき土地を」のスローガンのもと、ユダヤ人国家建設を望んでいた。(シオニズム運動)
2、第1次世界大戦時、パレスチナはトルコの占領下にあった。
当時トルコはドイツの仲間で、ドイツと敵対していたイギリスはパレスチナ人に、「トルコに敵対したら、パレスチナはあんたたちの物と認めますよ!」と約束。
その一方でイギリスはユダヤ人に、「戦争の資金援助してくれたら、パレスチナにユダヤ人の国をつくりますよ!」と約束。
3、世界中からユダヤ人が「やっとこ俺らの国できたー!」と、パレスチナを目指し流入。
当初はアラブ人も快く迎え入れていたが、ユダヤ人の急速な人口増加や経済活動のため軋轢が生まれ始める。
5、やがて軋轢は多数の死者も出るほどの戦いにまで発展するが、イギリスは問題解決を国連に丸投げ。
6、国連はユダヤ人地域、パレスチナ人地域(自治区)、国連統治地域(エルサレム付近)の3つにパレスチナを分割することに決定。
しかし、この決議は少数派(人口の3分の一)のユダヤ人に国土の半分以上を割り当てた不当なものだった。
その背景にはユダヤ人の支持(資金援助)を得たいアメリカの国連への圧力があったと言われている。
7、当然パレスチナ人の味方であるアラブ諸国の猛反発があったため、アメリカはこの決議を「やっぱ駄目ですよね〜」と意見を曲げる。
しかし、ユダヤ人は国連決議を根拠にパレスチナ人を追い出し、イスラエルを建国。
イスラエルを認めない中東諸国の反対により、第一次中東戦争にまで闘いは発展。
8、欧米諸国の経済界ではユダヤ人が大きな影響力を持つため、第1次中東戦争はイスラエルを支援する国家(アメリカなど)と、パレスチナを支援する国家(イスラム系国家)の代理戦争に発展。結果、列強の強力な支援を受けたイスラエルが勝利。
中東戦争はその後第4次まで続き、多数の難民(パレスチナ難民)が生まれた。
9.イスラエルは「分離壁」を建設することでパレスチナ自治区を侵食。
国連決議以上に領土を広げ、その全長は数百キロにも及ぶものとなっている。
さらに、パレスチナ自治区である「ガザ地区」と「ヨルダン川西岸地域」の間の交通網などをイスラエル側は遮断し、ガザ地区への物資の供給を阻止。
山手線に囲まれたほどの面積しかないガザ地区には150万人以上が暮らし、過剰な人口密度、物資不足、さらにはイスラエル軍との紛争に苦しむ日々を送っている。
10.9.11のテロも、この問題の「イスラエルの最大最強の後ろ盾アメリカVSアラブ諸国」という構図が根源にあった。
つい先日も、ガザ地区を実行統治するパレスチナ解放を目指すイスラム原理主義グループ「ハマス」とイスラエル軍との抗争があった。
民族紛争・宗教対立では多分もっとも有名なパレスチナ問題だが、もしこれが解決できれば世界の民族紛争解決のモデルケースになるやろうと言われてはいる。
オバマ大統領は父親がイスラム教徒でもあり、ミドルネームは「フセイン」(イスラム世界でスタンダードな名前)、パレスチナ解放に積極的と言われ、期待が集まっている。
とかとか他にもまだまだ続くんですが、あとはwikipediaとか、「パレスチナ問題」とかでぐぐれば情報はいくらでも出てきます!
あと、先月「パレスチナ自治区が国連内で格上げ」されたことも今後の情勢にどう影響してくるのか気になります。
こちらとかこちらがパレスチナ問題に関して情報がまとまってたので参考にしてみました。
興味ある方は飛んでみてください。
そんなわけで、簡単に分離壁を見れるところまで眺めの良い道を通って行く。
中東の家は昔の土壁の名残かコンクリ建てになってもベージュ系ばっかり。
歩きながら「STARS&BACKS COFFEE」というカフェを探すが見つからず…。
ベツレヘムのどこかにあるって聞いてたから見てみたかったけど見つけられんかった…。
もちろん某チェーン店のぱちもんなんですが、この系列やマクド●ルド、コカ・●ーラといった企業はイスラエル支援企業なんだそうです。
そりゃあ反アメリカのパレスチナ自治区に出店なんてできるはずもない。
マクドも未発見に終わったけど、コーラは普通に売ってた。
イスラエル支援企業は他にも多数存在(詳しくはこちら)
今、「イスラエルボイコット運動」なるものも行われ、「無印良品」もイスラエルへの出店を中止したみたい。
お、SUBWAY!と思ったらこれもぱちもん。
でもSUBWAYがイスラエル支援企業かどうかは不明。
パレスチナ側、イスラエル側、それぞれを支援する国や企業。
もう事情が複雑すぎ。
30〜40分くらい歩き、分離壁へ到着。でかい。
パレスチナ自治区側はこんな風にウォールアートで埋め尽くされている。
すべてイスラエルへの反発、平和への願いなどを表したもの。
*HUMMUS…中東のスタンダードな料理
かなりの長さにわたって絵が描かれている。
ところどころにそびえる監視塔。堅固で重苦しい。
壁にはイスラエルへの思いを書いたポスターが何十枚も貼ってある。
これはベツレヘムへ締め出され、エルサレムへ入ることができなくなった人。
日本語見つけた。
エジプトのデモ・ウォールアートでも日本語でメッセージ書いてる人がいたけど、自分はこういうのあんま好きじゃない。
この人がどれだけこの地域に関わってるかは知らんけど、あんまり外国人が首突っ込むことじゃない、と個人的には思う。
韓国語もあり。
分離壁近くの街角にも。
結局ベツレヘムには半日おりました。
エルサレムへ分離壁を抜けられるチェックポイントへ。
あの壁が数百キロも続いてるんか〜…
チェックポイントへ到着。
エルサレムとベツレヘムを行き来する人は多いのか、小さい市場やタクシーロータリーのようになってる。
割と入念と聞いてたチェックポイントでの検査はまったくのザル。
パスポートの提示も必要なはずなのにスルー。
夕方の帰宅ラッシュでエルサレムから帰ってくる人たちが多かったせいかな…?
チェックポイントを出てすぐのところで旧市街行きのバスに乗り込む。
とくに突っ込んだことはしてなくて、ただ町を歩いて写真撮ってきただけやけど、それでもパレスチナ問題を感じることができてよかった。
歴史も宗教も国際政治も勉強できたし、イスラエルに行った目的は果たせたかな!
イスラエル編・おわり