[[10]パラグアイ]イグアス日本人移住区〜パラグアイの日本〜
イグアスの滝を見終えたあと、パラグアイに寄ってからブエノスアイレスに戻ることにした。
何でもパラグアイには、戦後日本から開拓のため移住した日本人の村があるらしい。
ボリビアとかにも日本人の移民の村があって、そこに行った人は開拓時代を担ったじいちゃんの話を聞けたり、
日本の食材を買って日本食を楽しんだりしてた。
それもあって機会があれば開拓団の方々が作った村に一度お邪魔してみたかった。
そんなんもありーので、プエルト・イグアスから出ているパラグアイへの国際バスに乗り込む。
最初の目的地は国境の町シウダー・デル・エステ。
国際バスと言ってもめちゃ普通。プエルト・イグアスからパラグアイは目と鼻の先。
一日に何本も出てるし、値段も確か200〜300円くらい。
いざ出発!まずはアルゼンチンとブラジルの国境を超えました。
で、しばらくすると「友情の橋」と呼ばれるブラジル―パラグアイの国境がある橋を渡る。
けっこうこんでる。橋の向こうにはもうシウダー・デル・エステの町並みが広がってます。
で、ここで注意せなあかんのがイミグレーション!
橋を渡ってすぐのとこにイミグレがあって、バスの運転手に言うて降ろしてもらい、入国スタンプをもらわなければいけない。
しかし、バスは僕らがスタンプもらうまで待っててくれず、速攻でシウダー・デル・エステのバスターミナルへ発車してしまう!!
そのためスタンプをもらったあとは、同じ会社で同じ路線のバスが来るのを待ち、それから再び乗り込んでバスターミナルまで行かねばならない!
ややこしい!
まあ宿の情報ノートや旅ブログなどで情報収集しといたおかげで、僕は難なくスタンプゲット!
しかしここで、同じバスに乗ってた欧米人が僕の後ろに並んでいるが、やけに荷物が少ない…。
サブバッグすら持ってへん…。
これはまさか…と思ってたら、バスが僕らを降ろしたあたりで焦り出す彼。
やっぱりバスが僕らを待ってるもんやと思って、全財産入った荷物置いてきてしまったみたい・・・。
助けようと思っていろいろ説明するけど、英語もスペイン語もできない(何語話せるのかもわからない)
といあえずその辺におった警察のおっちゃんとはなぜかコミュニケーション取れてるっぽかったので丸投げして置いてきた。笑
無事に荷物受け取れたかな。
で、バスを待つのもめんどくさかったので、その辺のバイタクを捕まえてバスターミナルへ!
エンカルナシオン行きのローカルバスを探すが、長距離バスしかなかったためしゃあなしで乗る。
値段はたしか1000円くらい。ローカルバスの5.6倍…。
でも多分待てばあったんちゃうかな〜…バス会社の兄ちゃんにうまくのせられたかも。
イグアス移住区までは、シウダーデルエステから約1時間。
バス停の名はなんと「42km 地点」!笑
バスの運転手やターミナルのおっちゃんに「キロメトロ・クアレント・イ・ドス!!(42km)」と何度も念押し。
おっちゃんらは「はいは〜い」とあんまあてにならん感じ…ドキドキしつつも出発!
「42km地点では進行方向向かって左側にESSOがある」という情報だけが頼りなので、見落とさんよう道路に目を凝らす。
そして一時間少し経った頃、JICAの日本語の看板を発見!!
お、そろそろか!と思ったところでバスのおっちゃんに呼ばれてバスを降りる。
着きました!ほんまにESSOがあった!
一応これがバス停。42km地点の表示は何もなし。
で、ここから右に入って少し行くと、本日のお宿「ペンション園田」を発見!
イグアスの滝に行く旅行者の間ではけっこうメジャーな宿。
日本をびしばし感じます!
日本では数年以上言ったこともない「ごめんくださ〜い!」を連発しながら中へ入るが誰もいない…。
しばらくぼけーっとしてると不意に後ろから聞こえた「御到着ですか?」の声にびっくりする。
管理人の一人、園田パブロさん。
不思議な雰囲気でちょっと強面やけどいい人!
親切に宿の説明をしてもらい、洗濯を済ませたらさっそく町(というか村)歩きへ!
日本通りとかあります。
のーーーどーーーかーーーー
そりゃあ牛だっていますよ
舗装もなし!ザ・赤土!
道端の売店。
民家。
掲示板は日本語ばっかり!
気になったのが「カラオケ大会」。
宿にもこんなビラが!
これは出たい!と思ったけど次の飛行機があるため泣く泣く断念…。
ほんと日本の田舎がそのまんまって感じ。
スペイン語の看板もあるけど
裏には日本語!
意味深なメッセージも。
さらに赤鳥居が日本への郷愁を誘います…。
せっかくなので日本人センターにちょっと寄らせてもらう。
このへんはパラグアイ!銃器て!
みなさんお仕事中だったので、一人おとなしく東日本大震災の本を読ませてもらう。
去年震災があった日、自分はペルーにいて、帰国後も札幌にずっとおったせいか、正直震災にいまひとつ現実感を伴わず、
テレビが無いこともあって、情報もそこまで手に入れておらず、食べ物に対してもあまりシビアな目線を持っていなかった。
でも、ここで震災直後の写真をこれでもかと見て、あのとき何が起こったのか遅ればせながらも確認していった。
復興は進んでいるというが、それはやっぱり現地に行ったら簡単には言えないことかもしれない。
世界の中で日本が占めているポジションや影響力、それを作り上げてきた先人達の努力。
そういうものを最近特に強く意識する。
外国を周るのもすごく自分のためになることやけど、日本をもっと深く知りたいと、このあたりからさらに強く感じるようになっていった気がする。
もうちょっと歩いてみる。
日本語学校発見!
封印・・・笑
いかにも日本〜な!
「○○年度卒業生」とかじゃなくて「中三」「中一」てのが潔い。笑
小さい村です。
この日は移動もあって疲れたので、夕暮れ時には宿へ。
観光地ではないので派手な見どころはないけど、外国にある日本人の村はやっぱ興味深い!
つづく